政治・経済・社会

【インド首相】モディはどんな人?その半生をまとめてみた!

モディと蓮

こんにちは、さいの(@meranamerikohai)です。

今日は現インド首相、ナレンドラ・モディさんについて紹介していく記事にしようかと思います。

2014年に当選、そして今年2019年の下院選でも続投が決まり日本でもニュースで話題になっていたのでモディという名前を聞いたことがある人も多いのではないかと思います。

果たしてモディとはどんな人なのでしょうか?今回は、実績や政策と言うよりもどんな人かがわかるエピソードを主に書いています!

ナレンドラ・モディとは?

インド首相モディ

引用:ナレンドラ・モディ-Wikipedia

見た目は気のよさそうなおじいちゃんですね。

首相になる前は、インド北西部グジャラート州の首相をしておりインフラ整備や外資の呼び込みでグジャラート州に経済成長をもたらしたと言われています。

BJP(インド人民党)に所属しており2014年から現職。

裕福ではない家庭の生まれ

インドの家庭の洗濯物Photo by Matthew T Rader on Unsplash

モディは、1950年9月17日にボンベイ州(現グジャラート州)の小さな町で生まれました。6人兄弟でモディは三男だったといいます。

一国の首相になる人なんだから、かなりエリート家系だったんじゃないの?代々政治家の家だったんじゃないの?って思ってたんですが、モディは違います。

カースト制度は有名ですが、インドにはジャーティというカーストよりもさらに細分化された職業ごとの階級が存在します。モディは、ガーンチー(Ghanchi)という植物油の圧搾や販売を生業とするジャーティに属していて、カーストの中では決して高い地位ではないOBC(Other Backward Classes、その他後進諸階級)の生まれでした。

OBCは社会的に弱い立場の人々の集団であり、不可触民(指定カースト、Scheduled Cast)と呼ばれる人々よりも上位とされていますが、優遇措置をうける対象にはなるほどの階級です。

佇む年配の男性
インド憲法の父、アンベードカルの語るカースト制度の本質とは?こんにちは! 以前、ヒンドゥー教についての記事を書きました。そのヒンドゥー教と深く結びついているのが有名なカースト制度です。 ...

チャイ売りの手伝いをして家計を支える

チャイを手にする人々Photo by Fancycrave.com from Pexels

そのような家庭に生まれたモディ、幼少期には父親の手伝いで駅でチャイ売りをしていたというのも有名な話です。

決して裕福ではなかったためモディの父親は、本業以外にも収入源を得ようと駅にチャイ屋を開いていて、列車が止まるとモディはそのチャイを売って歩いていたそうです。

インドを列車で旅すると、どこかの駅に停車するたびに列車内にチャイ売りの人が入ってきますが、幼き頃のモディがそれをやっていたと思うと驚きです、、笑

小学校になると、朝にチャイを売ってそれから登校していたのだとか。

宗教組織への参加

ヒンドゥー教のシヴァ神https://pixabay.com/images/id-3132133/

この頃、モディはヒンドゥー至上主義組織である民族義勇団(RSS)の少年部の活動に参加するようになりました。

ヒンドゥー至上主義とは、ヒンドゥー教の文化や教えを基にした政治思想を持ち他の宗教や民族に対しては不寛容な態度を取ります。このRSSは1925年に創設され、その思想の根底には、ヒンドゥー教は平和主義だったがゆえにムガール帝国時代にはイスラムに植民地時代にはイギリスに蹂躙されてきたという考えがあります。

モディは首相になってから取った政策でもヒンドゥー至上主義と言われています。例えば、ヒンドゥー教の教えに従い食肉を目的とした牛の売買を政府公認の家畜市場で禁じるなど多くの州で規制が強化されました。これは、ヒンドゥー教は牛を神様として崇めるため厳正なヒンドゥー教徒は牛肉を食べないことに起因します。しかし、インドに約2億人いると言われているイスラム教徒などは牛肉を食すので、問題になってきました。

1962年に印中国境紛争が起こったときには、当時12歳のモディはRSSの支部で、前線で活動する兵士を支援するためのボランティアをしていたそうです。

青年期は放浪していた?

修行僧サドゥ

モディは中学卒業後の1967年〜71年、何をしていたのか公の情報としてははっきりしていないそうです。

複数の評伝を参照すると、ヒマラヤの山奥で隠遁生活を送っていたというところまでは確からしいです。(※上の画像はイメージ画像です)

この頃のことに関して、モディ自体はこう語っているそうです。

わたしは当時、愛国主義的な感情を持つだけではなく、スピリチュアルな影響も受けていたー色々なものが混ざり合った状態だった。この二つを分けて考えることは不可能だよ。あの頃、わたし自身も何がしたいのかはっきりしていなかった。でも、何か違うことをやらなくちゃいけないということはわかっていた。自分で考えようとしたんだ。混沌というよりは探求と言ったほうがいいだろう−しっかりとした決意のうえで何かを追い求める、ということだ。

引用:モディが変えるインド:台頭するアジア巨大国家の「静かな革命」

少なからず、この頃から人とは違って自分の足で自分の道を歩もうとしていたんですね。

政界入りを果たす

インド国旗謎の多い青年期を終えたモディは、グジャラート州の州都アーメダバードに住み始めます。

現地で店を営んでいた親戚がいたそうで、なんとそこでもモディはチャイ売りをしていたそうです。

その後、本格的にRSSの活動に参加し最初は雑用から始まった仕事も、熱心な仕事ぶりが認められて次第に事務的な仕事も任されるようになったといいます。

1985年にはモディに転機が訪れます。RSSの政治組織であるBJPのグジャラート支部へ派遣されることになったのです。ここから、活動家としてではなく政治家としてのキャリアが始まりました。

モディはBJPでも熱心に仕事をし周囲からの評価も高めていきました。そしてグジャラートが相次ぐ自然災害に見舞われた後の2001年、モディはグジャラート州首相に就任しました。

グジャラート州首相時代

工場https://pixabay.com/images/id-2041218/

モディは2001年からインド首相に就任するまでの2014年に渡りグジャラート州首相を務めました。しかし、就任して間もなくの2002年、グジャラート州で大きな暴動が起こりその時のモディの対応に対して世間からは批判の声が飛び交いました

暴動はヒンドゥー教とムスリムが対立構造となって起こったもので、死者は1000人超、その多くがマイノリティであるイスラム教徒だったと言います。アメリカ政府は、モディの対応を問題視し訪米ビザの発給を停止するほどでした。

そこでモディが注力したのが、州の経済成長です。

大型投資誘致イベントを立ち上げ、積極的な産業振興を図りグジャラートの奇跡と言われる程の経済成長を果たしたといいます。

アメリカに背を向けられたモディは、日本に対しても友好的でスズキやホンダなど日本メーカーの工場を誘致。工場はグジャラートに雇用を生み出しました。

カリスマだけどおちゃめ

そんなモディですが、よく世間の人々からはカリスマ的存在として敬われているみたいです。

ちょうど今回の選挙の時期にインドに滞在していたので、知り合いの若い女の子にモディについて聞いてみました。

モディは、リーダーシップを持っていて圧倒的に魅力的。みんなそう思っている。対して、国民会議派のラフル・ガンジーは発言がバカなの。モディはスマートだから、みんなモディに投票する。」

と言っていました。

また、モディはSNSを使いこなしています。世界の指導者の中でもフォロワーが1番多いのだとか。

この記事 にもあるように、

  • Facebookのフォロワー:4000万(2019/04時点では4300万ほど)
  • Instagramのフォロワー:680万(2019/04時点では1900万ほど…?!)
  • Twitterのフォロワー:2900万(2019/04時点でも同等)

と多くのフォロワーを抱え、積極的に発信を行っています!

もともとインドは人口が多く、ネット人口の多くが若年層のためSNS利用者もその分多いと言われています。

また、このようなことも述べています。

モディは「ソーシャルメディアは社会の情報を集めるものであって、プロモーションの手段ではない」と言ったことがあります。モディはソーシャルメディアからその地域の情報を集めて、演説をする際の参考にしているのです。

引用:モディを理解すれば、インドの今が分かる

こういうSNSの使い方をするんですね。

最後に、つい笑ってしまう記事を見つけたので紹介しておきます。笑

モディ首相は、ハグが大好きだそうです。

ハグが大好き! 19枚の写真で見る、インドのモディ首相のちょっと不思議な挨拶

それぞれの写真のコメントも面白いので暇な時に見てみて下さい!

まとめ

今回は、インド首相モディの半生について簡単にまとめてみました。

今回参照したのはこちらの本です。

モディさん以降のインドの政治・経済・外交について書いてあるのでぜひ。